ラオウ
偉大なる長兄

目標
トキが目指してやまなかった漢、それがラオウだ。しかし目標としていた割に、トキとラオウとではやる事なす事正反対。ラオウの剛とトキの柔。破壊と癒し。天下統一と末端での医療活動。非情と慈愛。強面とヤサ顔。短髪と長髪…(そろそろ苦しくなってきた)

それでもトキは言う。「あなたのすべてをめざした!!」と。一見「ホントかよ?」と思いがちなのだが、まぎれもなく事実だ。上記の事は全て表面的なものにすぎないのである。トキの目指していたラオウ、それは比類なき剛拳と、あのリハクの目を持ってしても読めなかった深い愛情、そして人間としての器なのだ。

熱い血
そもそもトキはなぜラオウを目指し始めたのか。ラオウはリュウケンの下に弟子入りする以前から、トキに「オレは最強の男になる」と洩らしていたようだ。勿論それはラオウ生涯の信念であり人生の目的なので、
弟子入り後もリュウケンにボコられながらも「このラオウの名を天下に鳴り響かせてみせる!!」と豪語している。そこでトキは興奮のあまり「スゲエゃ!に…兄ちゃん」と、読者もビックリのワイルドな台詞を吐いている。やはりラオウと同じ熱い血が流れるトキにとって、そんな兄の姿はたまらなく魅力的だったのだろう。

トキは修羅の国時代から拳法を学んでいたらしい。拳法家の目標といえば、行きつくところは「世界一強い男になる」だろう。幼い頃よりラオウの庇護の下にあったトキにとって、世界とはラオウであり、世界一を目指すとは、すなわちラオウを超えるという事なのだ。

また、トキがラオウに惹かれる要因として、その器の大きさははずせない。ラオウはとにかく体もでかいが器もでかい!それが顕著に表れているのが、トキの北斗神拳入門シーンだ。
「北斗神拳は一子相伝。いずれ(トキ、ラオウどちらか)片方は拳を封じねばならない。それでも構わぬか」とリュウケンは問う。
トキは迷いなく「ハイ」と答える。
そして入門を許されたトキにラオウは問う。「なぜ?」
トキは答える。「兄ちゃんを超えたいから!!」

考えてみてほしい。ラオウからしてみれば当時北斗神拳を学んでいるのは彼ひとりなので、そのままいけば伝承するのは確実だ。そこにいきなりのライバル出現である。しかも相手は自分を超える気でいる。もし自分が伝承者になれなかったら、掟によって拳を封じられてしまうのだ。普通に考えて、こんな迷惑な話はないだろう。

だがラオウはそんなトキを煙たがらない。それどころか、「フ…おまえにもオレと同じ熱い血が…」と、喜んでいさえする!さらにさらに!拳を封じられるのを恐れるどころか「もしオレが道を誤ったときはおまえの手でオレの拳を封じてくれ!」ときたもんだ!!う、器でけぇぇぇぇぇ!!!!!

愛情
トキとラオウを語るにもうひとつはずせないもの、それは兄弟愛だ。とにかくラオウの愛の深さは半端じゃない。…まあ、トキと違ってラオウの場合「狭く深く」なんですけどね。

まずは有名なラオウのトキをかかえての片手崖登り。「弟と一緒でなくては養子にいかぬ!トキの面倒はオレが見る!!」って、まだ10才にも満たない子供がこのド根性。
そして入門後、リュウケンにボコられたラオウを心配してトキが駆け寄れば、「大丈夫だオレは負けん。オレがくじけたらオレもおまえもほうり出されるそんな事は絶対にさせん」と、小さな手でトキの頭をなでる。あああああもう!カワイイやらカッコイイやら!!

こんな愛深きラオウだが、どうやら本人に自覚は無いらしい。ラオウがトキに、「ユリアもまたおれの野望のひとつ!!」と激白した際、「…それは野望ではない愛だ!」と返され、「なにィ!!」と驚いた。また、ユリアにこうも言った。「このラオウ、いまだ愛を知らぬ」

…恐れ多くも拳王様。一言よろしいでしょうか。あなた愛を知らないんじゃなくて気付いてないだけなんですよ?ぶし!

剛は殺!
そんなラオウだが、トキとの1回目の戦いではなぜか兄弟愛は見い出し難い。それはまだ作者がトキとラオウを実の兄弟と設定してなかったなんてつまらん説はおいといて、こじつけ…いや、考察してみようと思う。

まずこの時点でのラオウはどういう状態にあったか。カサンドラでひととおり色々な拳法をマスターしたので、本格的に乱世制覇に乗り出した時期だ。その為にラオウがとった方法が、自分に逆らった武芸者に新血愁を突き、自分に対する恐怖を伝説化する事による支配だった。つまりラオウはこの時、「非情さ」を大々的にアピールしていたのだ。

そこにラオウが唯一恐れる、柔の拳を持つトキがケンシロウと手を組んだ。ラオウが「ふたりならばおれを倒せるものを!!」と言うあたり、これは結構追い詰められた状態だったのではないだろうか。そんなラオウにとって信じられるものは自分の非情ゆえの剛拳だけである。

さらに敵方のトキが、ラオウを倒すには非情さを知れとケンシロウを諭す。御丁寧にラオウのリュウケン殺しを例に挙げてまで。トキからでさえ、自分は非情ゆえに強いと太鼓判を押されてしまったのだ。

この状態で「非情になるな」と言う方が無茶というものだ。「非情さ=強さ」という自分の考えを全肯定されたのだから。この時のラオウに「情」など全く価値の無いものだったであろう。

…と言いつつ、ほんの少しだけラオウの情愛を見て取る事もできる。ラオウが動きを封じる為にトキの足を自分のそれごと剣で貫いたのだが、その刃の角度をよく見て欲しい。どう見てもラオウの方がダメージ大きいですよね?人間は無意識に危険を回避するもの。私はあのシーンに、ラオウの「無意識下での葛藤」を見た!

続きはしばし待てい!


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